過去の事実をどのように認定するか

初心者のための歴史学講座でちょっと刺激を受けたので書いてみました。
まだ、浅いのですが、時間がないので、とりあえず、アップします。


 現在に生きる我々は、過去の事実をどのように認定しているのであろうか?
 まず、「過去の事実」とは何かを定義しておこう。
 ここで問題にするのは、10年とかの過去ではなく、少なくとも二世代前、50年から60年以上前の事実である。
 通常こうした事実認定は、歴史学という人文科学の一分野が担っている。
 歴史学の古典的手法は、史料(テクスト)を読み、それを批判し、過去の事実を確定させ、その事実に基づいて、何らかの考察を行うのである。
 そして、その考察について、批判なり反論なり補強なりが他の研究者によって行われ、学問として広がりを見せるのである。
 つまり、「過去の事実」というのは批判なり反論なりの対象では基本的にはないのである。もっとも大前提の「過去の事実」の確定が誤っている場合は、その部分も批判・反論の対象とはなりえる。
 たとえば、徳川家康が慶長8年に征夷大将軍に補任されたのを否定する説は、まともな歴史学では存在しない。
 しかし、その将軍就任についての考察は大量にある。なぜ、慶長8年なのかという問題に絞れば、島津氏の処分が決まっていないからとか、佐竹氏を秋田に移封し名実とも関東の覇者になったからとかの考察があり、それぞれ「説」というべき学術的な成果なのである。
 通常の歴史学は、こうした事実をもとに、その背景なり原因なりを考察するものなのだ。
 これは、古代史から近現代史まですべて同じである。
 事実を確定させるだけでは歴史学ではない。すなわち、テクストをもとにファクトを確定させ、そこからコンテクストを構築するのである。
 それでは、東京大空襲南京事件を例にとって我々はこの事実をどのように認識していくかを考えてみたい。
 まず、東京大空襲が存在したことをどのように我々は認識するのであろうか?
 現在の東京を歩いてみても空襲があったということを単純に認定できるものは、見当たらない。街並みが続いているだけである。
 それでは、図書館に行ってみよう。
 そこには、当時の新聞がおいてある場合がほとんどである。そこで記事を見れば、恐らく、東京に空襲があったことが書かれている。しかし、大本営発表をそのまま書いているので、被害は少なく、逆に多くのB29を撃墜したことが書かれている。(「東京大空襲 当時 報道)でググってみれば、すぐにわかる)
例:http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090310/1236694754
 となると、違う資料としてたとえば早乙女勝元氏等の一連の著作を見ることとするのはどうであろうか。
 そこには多くの証言と写真が掲載されている。しかし、著作物であるから明らかに二次史料である。したがって、そこから出典を明記してあるものを探して、原史料にあたることになる。なんとか原史料及び証言者にたどりつければ、史料(当時の日記・手紙・罹災証明書・米軍の記録など)や写真・証言を入手し、それを批判的に検討し、東京大空襲があったことが事実であることを歴史学的には証明できる。
 南京事件も同じである。
 現在の南京市の町並みを見ても南京事件があったことはわからない。
 やはり、文献をあたって、原史料や証言者にたどりつき、その内容を批判的に検討し、南京事件があったことを歴史学的に確定できるのである。
 しかし、どちらの事象も実際にどのくらいの犠牲者が出たのかは、わからない。
 東京大空襲(1945年3月10日)の場合は10万人以上としか通常は言われていない。
 南京事件は、まともな歴史学の研究者であれば秦説+幕府山事件が最低ラインで、間に笠原説などをはさみ30万人も一概には否定できないというところが概ね了解されるところであろう。
 すなわち、わずか100年も前でないことなのであるが、結構わからないことは多いのであるが、東京大空襲及び南京事件が、デテールはともかく存在したということが事実(ファクト)であることを導き出すのはさして困難なことではない。
 ただし、当然のことであるが、こうしたファクトをもとに、たとえば米軍がなぜこのような爆撃を行ったのかとか、その結果どのようなことが言えるのかとか、大日本帝国陸海軍の兵士や下士官がなぜ、このような挙に及んだのかとかを、考察するのが歴史学である。
 以上は通常の歴史学の方法論であり、現在も多くの歴史学の研究者がこのような方法論で研究を進めている。
 しかし、ポストモダン以後の時代においては、どうなのであろうか?
 この点については、次のエントリで述べてみたい。