南京事件否定論の真似をして東京大空襲を否定・矮小化してみる

南京事件否定論の真似をして東京大空襲を否定・矮小化してみる

 南京事件があったことも東京大空襲があったことも、歴史学上の事実である。しかし、南京事件については、歴史修正主義者が否定論ないし矮小化論を唱えている。
 それは、まったくのでたらめとしか言いようのないものなのである。
 それでは、同じような論理で東京大空襲を否定ないし、矮小化してみる。

1 当時の大日本帝国政府は東京大空襲があったことを認めていない。
 一番の当事者である大日本帝国の政府当局は1945年3月10日に東京大空襲があったことを認めていない。
 翌日の新聞を見てみるといい。
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090310/1236694754から引用
  単機各所から低空侵入
 敵機の夜間来襲が激化しつつあったことは敵の企図する帝都の夜間大空襲の前兆として既に予期されていたことであったが、敵はついに主力をもって帝都を、一部をもって千葉、宮城、福島、岩手の各県に本格的夜間大空襲を敢行し来たった。
 まず房総東方海上に出現した敵先導機は本土に近接するや、少数機を極めて多角的に使用しつつわが電波探知を妨害して単機ごとに各所より最も低いのは千メートル、大体三千メートル乃至四千メートルをもって帝都に侵入し来たり帝都市街を盲爆する一方、各十機内外は千葉県をはじめ宮城、福島、岩手県下に焼夷弾攻撃を行った。
 帝都各所に火災発生したが、軍官民は不適な敵の盲爆に一体となって対処したため、帝都上空を焦がした火災も朝の八時ごろまでにはほとんど鎮火させた。また右各県では盛岡、平に若干の被害があったのみで他はほとんど被害はなかった。
 この敵の夜間大空襲を邀(よう)撃してわが空地制空部隊は帝都上空および周辺上空において壮烈な邀撃戦を敢行して大規模な初の夜間戦闘において撃墜十五機、損害五十機の赫々たる戦果を収めた。
 現下の防御態勢においてかくのごとき敵空襲は避けがたく敵は本土決戦に備えて全国土を要塞化しつつあるわが戦力の破壊を企図して来襲し来ったものと見られる、しかし、わが本土決戦への戦力蓄積はかかる敵の空襲によって阻止せられるものではなく、かえって敵のこの攻撃に対し邀撃の戦意はいよいよ激しく爆煙のうちから盛り上がるであろう。

 このように、爆撃があったことは認めているが、損害は軽微であり、逆に15機を撃墜して、50機に損害を与えたと発表しているのである。

2 天皇疎開させていない
 昭和天皇は大戦期間常に東京にあって、空襲を避けるための疎開を行っていない。
 これは、東京には大した空襲がなかったことを意味している。

3 カーチス・ルメイに戦後勲章を与えている
 東京大空襲を指揮したとされる米軍のカーチス・ルメイに戦後、日本政府が勲章を与えている。
 自国民を10万人以上殺傷した敵国軍人に勲章を与えるなどはあり得ない。

4 ダグラス・マッカーサーが帰国するとき日本人がそれを惜しんだ
 占領軍の頭目であるダグラス・マッカーサーアメリカに帰国するとき、多くの日本人がそれを惜しんだ。
 東京大空襲などがあったりしたら、占領軍の最高責任者をこのように扱うことはありえない。

5 東京大空襲の証拠とされているものは、早乙女勝元氏らの著書などであるが、それは二次史料であり、証拠能力は低いし、早乙女勝元氏は左翼であり信用すべきでない
 早乙女勝元氏は、反戦・平和をライフテーマとしているサヨクであり、信用ならない。その早乙女氏の著書など信用するに値しない。したがって、東京大空襲はなかったのである。

6 億が一、東京大空襲があったとしても、それは、非戦闘員の虐殺ではなかった
 3月10日の東京大空襲は、東京の下町に対して行われ、非戦闘員である婦女子をはじめ多くの人びとが死んだとされるが、当時の大日本帝国は、小学生以上になれば国民学校で軍事教練が行われており、単なる非戦闘員とみなすことはできない。また、町工場などもあり、軍事物資も生産されていた。したがって、この空襲は、相手国の通常の軍事目標に対する爆撃であり、また、死んだ者の大部分は戦闘員とみなすべきものである。付け加えれば、軍服を着ておらず、指揮者もいないので、まさに便衣兵というべき存在でもあった。どのような殺され方をしても文句を言えないのである。

以上の点を考えれば、東京大空襲は存在しなかったか、あったとしてもたいしたことはなく、死亡した者の大部分は指揮者もいなければ軍服を着ていない、学校などで軍事調練を受けていた便衣兵であった。

 まあ、屁理屈をこねれば、たいがいのものは捻じ曲げた結論を出すことができるという見本ですな。