新作BUNLAC 大阪南港心中

新作BUNLAC 大阪南港心中

大坂町奉行端元佐渡守徹行(はじもとさどのかみてつゆき)は、450石取の旗本で、代々大番の家柄である。大番の家柄は、書院番小姓組番の家柄と違って、なかなか出世がかなわないのであったが、血のにじむような努力と上役への取り入り、妻の実家の親類の尽力で、大坂町奉行まで出世することができた。将軍の覚もめでたく、老中連中からの評判も上々であった。
大坂では、庶民受けする政策を次々打ち出し、大喝さいを受けていたが、一部自分の理解の範囲外の伝統芸能や南蛮渡来の芸事に対しては厳しく取り締まって、心ある人々からはあまりよく思われていなかった。
しかし、庶民の人気は絶大であった。
それは、自分の配下の与力・同心などが不正をすることを厳しく禁じ、また、不正とまでは言えなくても、自分の理想とするような動きをしない配下を庶民の前で厳しく叱りつけたりしていたからである。
このまま評判良く大坂町奉行を勤めて江戸へ戻れば、町奉行勘定奉行への出世は確実であった。さらにその後もうまく立ち回れれば、かつての大岡忠相のように寺社奉行すなわち大名へ成り上がることも夢ではなかった。
妻はよく出来た女で、自分の実家の親類のお陰で佐渡守が出世したことはおくびにも出さず、佐渡守へ尽くし、間に7人もの子どもをもうけていた。
佐渡守は、大坂へは単身赴任であった。
このころ大坂はかなり発展し、町には多くの遊ぶ場所があった。
佐渡守は、妻に悪いとは思いながら、夜の大坂で遊ぶこととなった。
そのとき、地元出身の与力に連れられて入った料理屋に呼ばれた芸者のおつるとつい関係を持ってしまう。
一度きりと思っていた佐渡守であったが、なぜかおつるを忘れられず、逢瀬を重ね、さらにおつるに対して、町娘の格好をさせたり、公家の姫様の格好をさせたり、さらには巫女や尼僧の格好をさせたりして関係をもっていた。
いつの間にか佐渡守は、おつるなしでは生きられなくなっており、おつるも佐渡守と晴れて結ばれることを夢見るようになっていた。
しかし、大坂町奉行としての任期が間もなく終わることを知った佐渡守は、江戸へ戻るよりもおつると永遠に結ばれることを選び、二人で大阪南港へ身を投げるのであった。


本BUNLACは、まったくの創作で実在の人物や組織とは一切関係ありません。