南京事件について

 以前つけたブックマークについて反論が掲載されていた
 そのブックマークは
edo04トンデモ, 南京事件 史料を読んだことがないやつが、何を言っているんだか。2012/05/12
というものである。
 このブックマークに対しての反論を書いているのだが、どうも腑に落ちないことが多いので、ここにこちらの見解を書いておく。

 まず、彼の主張を見てみたい。
 俺なりの理解であるが、
(1)ネット上では一次史料・一次資料にあたれない上、否定派のものも、肯定派のものも、出している証拠に色眼鏡と恣意が入りすぎているので、論争は無意味である
(2)歴史学という学問を否定してはならないので、否定派の言論も認めなければならない。
(3)ネット上の否定派を攻撃して来る人々は、中国共産党の主張する30万人説に固執している。
(4)南京大虐殺でなく「南京事変」という用語がベターである
(5)彼自身は、10万人を超えない程度の中国軍民の殺害があったが、この内、不法殺害がどの程度あったのかは不明であると考えている
(6)極東裁判でさえ真っ当に『証拠の精査がなされていない』と言う事実がある
の6点にまとめていいと思われる。

 この6点について一つずつ俺の見解を述べてみたい。
 まず、ネット上で一次史料・一次資料にあたれないので論争は無意味であるというのは、「一次史料・一次資料」とはなんであるのかという定義をはっきりさせる必要があるであろう。
 通常の歴史学においては、「一次史料」は、事件史の部分でいえば、事件が起きた当時にそれについて書かれた記録や文書である。(構造史の部分についてはここでは触れない)
 そして、「二次史料」は、後年に編纂された記録や著作物などである。(ウィキペディアでも、まあ、ほぼ同じことが書いてある)
 一方、「一次資料」という言い方は、通常はしない。史料と資料の違いは、史料は研究する際に、直接参照する一番根本的なテクストである。一方通常の歴史学を研究する際に資料といったら、先行研究であるとか、参考となる文献とかである。ここには一次とか二次とかはない。
 彼が何を持って資料を一次と二次にわけているのかわからんが、以上が通常の一次史料・二次史料・資料の定義である。
 そして、学問として南京事件を研究するときに、「極東裁判(東京裁判)の判決文」が「一次資料」なのであろうか?たしかに、一次史料ではない。しかし、史料としては使えるので、良質な二次史料と評価する人が多いのではないだろうか。資料としての評価は、ここからさまざまな原典に当たる手掛かりとなるものとして評価できるのかもしれない。
 また、否定派・肯定派ともに出す証拠に色眼鏡と恣意が入り過ぎているという部分であるが、この場合の「証拠」というのは史料のことであると思われる。
 論拠として出された史料は、史料批判という手続きに基づいて、評価していけばいいのであって、別に、色眼鏡や恣意が入っていても、史料批判ができないということにはならない。それこそ、お互いの論点を検証しあうという営みによって歴史学が豊かになっていくのである。
 そして、日本の南京事件の研究者(歴史学者)が主に依拠している一次史料は、日本軍の戦闘詳報であったり、従軍将兵の日記あったり、大本営・外務省等の職員の記録、外国人記者の書いた記事、南京に残留した外国人の記録などである。二次史料としては、極東軍事裁判の際の証言記録、後年の関係者の著作などである。

これ以外はどれもこれも『誰かが編纂した二次史料・三次史料』からの切り出し。
『切り出し』だとどのように『恣意的に編纂』されたかわからない。というかその二次史料を編纂した『誰か』が、そもそもその『史料』を恣意的に編纂した可能性すらある。

 この部分は、彼が史料というものを理解していない人であることを示している。
 なぜなら、これは史料集というものの存在を否定している言説であるからである。
 史料集を刊行することは、歴史学の発展のためには重要なことである。そして、そこに収められた史料は、多くは一次史料として利用できるものである。
 もちろん、どんな史料を掲載するのか、どの部分を掲載するのかは、刊行者の判断が大きいが、それは史料批判あるいは、原典に当たることで、回避できるのである。
 すなわち、恣意的にトリミングされたり、改竄がなされた史料集が刊行されたりすれば、それは厳しい批判にさらされ、使ってはいけない史料とされるからである。
 南京事件でいえば、田中正明による松井石根の日記の改ざん事件が有名である。
 また、陸軍の軍人の社交団体である偕行社が発行した『南京事件資料集』は、非常に貴重な史料集として歴史学者や肯定派から評価されている。付け加えると、これを刊行した際の中心人物であった畝本氏と加登川氏は、少なくとも数千人の不法殺害があったと率直に認め、謝っている。そのため、彼らを否定論者とする歴史学者はいない。
 なお、南京事件の史料集として日本語で刊行されているのは下記のサイトを参照されたい。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120329/p2#c
さらに言えば、三次史料というのは、歴史学上ほとんど用いない概念である。どんなものを想定しているのであろうか?

追記
ということで、ネットに出ていないから議論できないというのは暴論であるというのがここの段でいいたいこと。

 次に、歴史学という学問を否定してはならないので、否定派の言論も認めなければならない、というのは、まあ、言論の自由という観点からは正しいといえる。
 ただし、いまだかつて、南京事件を否定する学術論文は1本も査読付きの専門誌に掲載されたことはない。すなわち、否定派の言説は学問の体をなしていないのである。恐らく、学問の自由、言論の自由がある限り、未来永劫、学術論文として南京事件否定論が、査読付きの学術雑誌に掲載されることはないであろうということは押さえておく必要がある。(すなわち、南京事件否定論というのは、ホメオパシーやら波動やらアポロは月に行っていないレベルの代物なのである)

 3点目は、ネット上の否定派を攻撃して来る人々は、中国共産党の主張する30万人説に固執している、というのは、恐らく彼の誤解であろう。
 ネットで否定論を攻撃する人は多くいるが、30万人説に固執している人はいない。ほとんどの肯定派が述べているのは、「完全に否定できるほどの史料を持ち合わせていないので、30万人説も成り立つ可能性はなくはない」ということである。
 ネット上で、30万人説に固執している肯定派が全くいないとまでは言わないが、いたとしても、ほんのわずかであろう。いるのは、学術的に30万人説を100%は否定できないという人々である。

 4点目は、南京大虐殺でなく「南京事変」という用語がベターであるとのことであるが、肯定派は、南京大虐殺という用語はあまり使わず、南京事件と呼んでいることがほとんどである。これはなぜかというと、殺人だけでなく傷害・強姦・強盗(略奪)なども多数発生しており、大虐殺というと、殺人以外の犯罪行為を含まないニュアンスになるからである。そのため、殺人・傷害・強姦・強盗(略奪)などの多くの犯罪行為を含む用語として南京事件という用語を使用しているのである。
 南京事変という用語を使うように提唱しても、賛成する歴史学者はいないであろう。なぜなら、事変というのは、北支事変、上海事変などという用語があり、それは違う意味で使用されているからである。すなわち、事変というのはかなり大規模な戦闘行為があったが、さしあたり宣戦布告をせずに、戦闘行為を継続し、その後何らかの方法で事態の収拾を図るような事件を当時そう呼んでいたのである。したがって、南京大虐殺と呼ばれていたものを南京事変と呼ぶべきと唱えても、賛成する人は、まずいないであろう。

 5点目は、彼自身は、10万人を超えない程度の中国軍民の殺害があったが、この内、不法殺害がどの程度あったのかは不明であると考えていることについて。
 殺害された人数の推定は、さまざまな人々が行っているが、決定的な史料が存在するはずもなく、秦説+幕府山事件の被害者が最小限度の不法殺害数で、間に笠原説(最大20万人)をはさみ、30万人も一概には否定できないというのが、日本近代史研究の結果として概ね了解される線であろう。
 たとえば、俺が南京事件の背景に思想の観点からの考察の論文を書くとすれば、「はじめに」の部分で次のように書く。

  はじめに
 昭和12年(1937)年12月、大日本帝国陸軍は、直前まで中華民国の首都であった南京を陥落させた。そして、陥落の前後から数週間にわたって、中国軍民に対して殺害・略奪・暴行・強姦が大規模に行われたことは周知の事実であり、このことは、南京事件南京大虐殺南京大虐殺事件などと呼ばれている。
 本稿では、この事件(以下「南京事件」と呼ぶ。)について、その大まかな経過を追った後、なぜ、当時の将兵がそのような行為に及んだのかについて、主に思想の観点から検討・分析を加え、その背景を探ってみたい。


 こう書いて査読付きの学術雑誌に投稿したとして、事件の死者数が書いていないから、掘り下げが足りないとか、事実誤認であるとかとして査読者によって否定されることは、考えられない。そして、歴史学上の問題として、何人死んだかは、はっきり言って、確定のしようがないのであれば、大規模な虐殺などがあったことを共通の事実として、それを前提に、その背景とかを考察するのが通常の歴史学の論文である。
 すなわち、歴史学者は、南京事件の場合の死者数が数万人であろうと、30万人であろうと、実際の研究には大きな影響を与えることは少ないと考えているのである。
 なお、捕虜の殺害が違法であるかどうかについて、歴史学者の間では、論争はない。捕虜の殺害を合法であると言い募っているのは、歴史学者ではない人びとである。

 6点目について。極東裁判で審理が尽くされていないと、彼は評価しているようであるが、極東軍事裁判東京裁判)について、そんなに自信を持って、事実が精査されていないという認識を示すことができるということは、相当深く研究されたのであろう。俺は、せいぜい講談社新書くらいの知識しかないが、そんなにいい加減な事実認定はしていないと思ったが。事実をどう評価するかは、話は別であるが、その審理での南京事件についての事実審理は、そんなにいい加減だったとは書かれていなかったような気がする。
 これだけ、断定的に書くのであるから、きっと確かな一次史料があるのであろう。

 まあ、いろいろと書き連ねたが、idコールトラックバックもないので、俺も、ここに書いただけで済ますこととする。あと、一度読み返しただけだから、誤変換等があると思うが、勘弁してくれ。