なぜ「いわゆる」をつける?

NHKのニュースで「いわゆる「村山談話」」というフレーズが気になった。
単に「村山談話」という場合と、「いわゆる」をつける場合では、俺の語感からすれば、「いわゆる」をつけた場合の方が、格が下がるというか、「自分はそのとおりと思っていない」とかのニュアンスが入るような気がする。
ググってみると、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150810/k10010184361000.html
において

平成7年のいわゆる「村山談話」や平成17年の「小泉談話」で、いわゆるキーワードに位置づけられている、「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。

とあり、なぜか、村山談話やキーワードに「いわゆる」がついていた。
正式名称が長ったらしいので、「いわゆる「村山談話」」とするのかと一瞬思ったが、小泉談話には、「いわゆる」はついていない。
これは、「小泉談話はみとめるが、村山談話を俺は認めたくない」というニュアンスが込められていると思われても仕方がないのではないか。
村山談話に「いわゆる」をつけるのはやめるべき。

2015年08月11日のツイート